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2017年4月 雑誌エンジョイでのインタヴューより

​ご自身の喘息や他のアレルギーを機能栄養学とカイロプラクティックによる治療で克服された和泉宏典さんは、ご自身の経験を踏まえて、生活習慣を変えることによる体質改善が現代人の健康にとっていかに大切であるか啓蒙に励まれています。
 
お子さん時代についてお聞かせください. 
私は非常に体の弱い子どもでした。2年ほどはなれた姉がいますが、母は元々あまり体の強い人ではなく、姉の妊娠の時も私の時もつわりが非常にひどく、食事が中々喉を通らなかったそうです。姉の妊娠で、相当栄養を失った状態から十分に回復しないまま私を妊娠した母は、さらに体を切り刻む形となってしまい、歯はぼろぼろになり、30代後半で前歯のほとんどは差し歯になってしまいました。私の体も十分な栄養をもらうことが出来なかったのでしょう、小さい時から非常に病気がちでした。3歳から6歳くらいまでは、一晩中喘息の発作で苦しむ夜が続き、幼稚園は半分以上欠席しました。小学校に上がるとそれほど休まなくなりましたが、季節の変わり目ごとにひどい発作を起こし、何度も入退院を繰り返しました。低学年の頃は体が冷えるとすぐに喘息が出てしまうので、プールの授業は参加出来なかったため、高校生になるまで泳げませんでした。小児喘息と呼ばれていましたから、大きくなればよくなるだろうと期待していたのですが、中学、高校、さらに大学生になっても治らなかったのです。さらに、喘息だけでなく、ありとあらゆるものにアレルギーで、埃っぽい所やペットがいるような所にいくと目や鼻がかゆくなり、くしゃみを連発していました。


それは大変だったでしょう。それで、学生時代はどのように過ごされたのですか? 
中学生の時からロックが大好きになり、ギターを弾き始めました。大学に入ってからも、授業などはほとんど行かず、ロックバンド活動に明け暮れていました。当時は腰ぐらいまでの長髪でした。
喘息の方は相変わらずで、副作用が強い事を知りながらも、大学生の頃には気管支拡張の吸入器を頻繁に使うようになっていました。その瞬間は楽になりますが、長期的に使っているうちに、非常に疲れやすくなり、昼寝をしないと午後全く元気が出ないようになりました。昼寝をした後必ず心臓が激しく鼓動し、そのどきどきした感覚が何時間も続き、非常に不快な気分になりました。


そういう状態でアメリカに来られたのですか? 
特に Southern Rock や Soul Music が好きで、The Allman Brothers Band, The Black Crowes, Georgia Satellites, James Brown, Ray Charles などジョージア出身のアーティストに憧れていた私は、いつかジョージアに行ってみたいと思っていました。その思いを果たすために、体の弱さがあったため親は心配しましたが、大学卒業後ジョージア州立大学に留学することにしました。冗談抜きで、ジョージアでバンドを組んでロックスターになりたいと考えていました。


ロックスターになりたかったのですか。
寮に住む予定でしたが、入居日に私の名前がリストに載っていないといわれて、突然寮に住めなくなってしまいました。英語をほとんど話すことが出来なかったため、うまく説明することも出来ず、仕方なく自分で住む場所を探さなくてはなりませんでした。部屋は借りたものの、車も無く数着の服とギターしか持っておらず、空っぽの部屋の中で途方にくれていました。学校もまだ始まっていなかったので、友達もいませんし、毎日ダウンタウンで中華料理とファーストフードを食べて過ごしていました。


心身ともにあまり健康的とは言えませんね。
そんなある日何もすることが無いので、意味もなく街角で座っていたら、ガラの悪そうな人にお金をせがまれました。その時少し離れたところから私に向かって顔を何度も横に振って、「やめとけ、やめとけ」とサインを送っている人がいました。それで「金は持っていない」とその人を振り切りました。その後サインを送っていた人が近づいてきて、「あんな人にお金をあげたら、ここに来るたびにたかられるよ」と教えてくれました。このデイヴィッドという初老の白人男性にジョージアに来ることになったいきさつを説明し、後で彼の気に入りの中華料理店に行く約束をして別れました。3日後中華を食べた後、デイヴィッドが少し買い物をしたいから一緒に行こうという事になり、中古家具屋で、ベッドと椅子とテーブルを買った後で、「お前のアパートはどこだ?」と聞かれたのです。デイヴィッドは私のためにそれらを買ってくれたのでした。その後も、毎日のようにやってきて、やがて奥さんや友達にも紹介してくれ、私のジョージアでの生活を応援してくれました。元先生だったデイヴィッドは私の勉強も色々と助けてくれました。また、敬虔なクリスチャンの彼に連れられて、地元の教会にも通うようになり、私がクリスチャンになるきっかけとなりました。彼との出会いは私の人生を大きく変えました。彼の影響で、人を助ける何かをしたいと思うようになったのです。


大きな出会いですね。それからどうなされたのですか?
ジョージアで暮らし始めた当初は地元のクラブにギグをよく見に行っていました。しかしそこではっきりわかったのは、私と彼らのレベルの違いでした。体に染み付いたリズム感やセンスはどう考えても私にマスターできるものではないと思いました。
アメリカに来て一人暮らしになって、学校の勉強も大変だったので、生活習慣、食生活が大変乱れてしまい、健康状態は最悪になっていました。喘息の発作は頻繁に起き、精神的ストレスからか、胃潰瘍を患い、抗生物質を10日ほど飲んだ後から、頭に霧がかかったような状態が6ヶ月ほども続きました。風邪をひくことも、月に1回はあったようで、常に調子が悪いというような状態が続きました。


かなり落ち込んでいたでしょうね。
1997年の夏休みにショッピングセンターの一角でカイロプラクターの先生が背骨の無料検診を行なっていたので、時間つぶしのつもりで診てもらいました。私はギターを専攻していて、一日4~5時間は練習していました。そのせいもあってか、背骨は首から背中にかけて左に傾いていました。背骨が歪んでいることの自覚症状は全くありませんでしたが、背骨が脳からの信号を体全体に届ける非常に大切な役目を持っていること、また背骨を調整することによって、脳からの信号が全ての臓器に正しく伝わることが出来るようになると教えてもらいました。ほんの10分ほどの会話でしたが、その日はそのことばかり考えていました。翌日インターネットでカイロプラクティックのことを調べ、薬を一切使わない自然療法であることを学びました。数日後には、カイロプラクティックの学校を調べ、次の学期に取る予定になっていたクラスをすべてキャンセルし、カイロプラクティックの学校に行くための必須教科のクラスをとる事にしました。


音楽を諦めてカイロプラクティックの学校に通われたのですか? 
カイロプラクティックの学校に行き始めたのが1999年の8月でした。理論上、素晴らしいものであると理解していましたが、実際の治療は学校の勉強を始めてから受け始めました。一体何が起こるかは未知の状態でした。一種のかけのようなもので、何の変化もなく、期待通りのものでなければ、その時点で日本に帰ろうと考えていました。


それでどうなったのですか?
物心ついた時から、いつも乾燥していてあかぎれ状態になっていた右手の親指と人差し指の肌が治ってきたのです。首からの神経が腕の方に伸びているわけですが、首の骨が歪んでいたために右手の指に神経が正しく流れていなかったため、手の肌がいつもおかしな状態になっていたのでした。治療を続けることによって歪みが根本的に矯正され、その後は一切起こらなくなりました。さらに3ヶ月ほどすると、喘息の発作が出ることも少なくなってき、6ヵ月後にはうそのように出なくなりました。もうその時にはカイロプラクティックの虜になり、これが私の一生続ける職業になることを確信しました。


ご自分の体で経験されたわけだから強いですね。
後でわかったことですが、3歳の時に、公園の滑り台の階段から落ちたそうで、喘息はその後始まったようなのです。その事故が原因で背骨に歪みが出来、喘息が始まったかどうかは推測の域をでませんが、確信を持って言えるのは、私の喘息は背骨の歪みを矯正することによって完全に消失したということです。これはまだ食事を改善する以前の話です。カイロプラクティックによって全てが改善されたわけではなく、他のアレルギー症状は残っていましたが、その後、カイロプラクティックの治療とともに、生活習慣、特に食事を変えることによって、虚弱体質はほぼすべて改善されていきました。


ウエルネスセンターを立ち上げたのはいつですか? 
カイロプラクティックの大学を卒業後アトランタで開業しました。カイロプラクティック治療によって新しい体を得た私は意気揚々と仕事を始めました。カイロプラクティックの治療を通じて多くの方々が様々な健康問題を克服するお手伝いをさせていただきましたが、臨床現場ではカイロプラクティック治療だけでは中々改善しない問題も多々ありました。


エンザイムセラピーを考えられたに当っては何か切っ掛けがあったのですか? 
 私が治療者としての初めての壁にぶつかっていた頃に、私のクリニックで受付をしていたマリオンという女性の乳がんが発覚しました。彼女は西洋医学的治療を受けることはせず、食事療法を中心とした、生活習慣の改善を行なうことで体を癒していく道を選びました。典型的なアメリカ人的食生活を改め、生野菜ジュースなどのローフードを中心とした食生活を行なうようになり、徹底的な解毒促進ダイエットを行なった結果、6ヶ月以内に腫瘍の大きさが3分の1になり、2年後には完全にがんを克服してしまいました。その一部始終を目の当たりにした私や同僚は、食事改善の力に驚嘆し、是非食事指導を治療の中に取り入れたいと思うようになりました。


人間の体は自然治癒力を持っているといいますね。
まずマリオンが取り入れた食事療法を学ぶために、ノースカロライナの山奥にあるハレルヤエーカーズ (Hallelujah Acres) という、ローフードについて教えてくれる団体のセミナーに参加しました。そこでは、生活習慣を改善させ、特に生の野菜や果物を中心とした食生活に変える事により、がん、心臓病、高血圧、糖尿病などを薬や手術を全く使わずに克服した人々にたくさん出会うことができました。彼らの療法は、デッドフード(調理、加工、熱などを施した、死んでしまった食べ物という意味)を食生活から取り除き、リビングフード(生きている新鮮な、そしてもちろん酵素をたくさん含んだ食べ物という意味)を多く取り入れることによって、自然治癒力を引き出す、というものでした。デッドフードとリビングフードの決定的な違いは、酵素にありました。酵素の力に魅了されて酵素栄養学の権威である Dr. Howard Loomis, Jr. の下でさらなる勉強を始めました。現在、Food Enzyme Institute 認定ドクターの資格を持っています。それ以外にも数ヶ月に一度は、栄養学に関する(最近では機能栄養学の)セミナーを受講し最新の情報を得られるように心がけています。


Izumi Wellnessではどういう人々の治療にあたっているのですか?
私どものクリニックに来院される方の大半は、「病気」を患っているわけではありません。30~50代の働き盛りで仕事に家庭に日々忙しく、健康診断でも際立っておかしなところは見つかりません。問題があっても、コレステロールが少し高いとか、血圧が若干上がってきた程度で、「いずれも基準値の範囲内。基本的に問題はありません」と、主治医からは健康のお墨付きまでもらっているのですが、若い頃にはなかった明らかな「不調」が存在するのです。体の変化かもしれないし、気分の浮き沈みかもしれません。疲労感が続く、寝てもスッキリしない、悪い夢をよくみる、記憶力が落ちてきた、どうもやる気が出ない、体が年々硬くなってきた、頭痛が頻繁に起こる、腰痛が慢性化したなど、症状は人によって多種多様ですが、共通しているのは、一般の検査では数値に表われない、つまり「測ることができない」ということです。主治医に不安をぶつけても、「(症状は)加齢や仕事、家庭のストレスが原因でしょう。仕方ないですね」という常套句で切り返された人は少なくないでしょう。しかし、慢性的な疲労感や思考能力の低下、体の痛みや不快は加齢にともなう「避けようのない問題」ではありませんから、あきらめる必要はまったくありません。原因不明の症状のほとんどは病気ではないが、健康でもない、つまり「健康と病気の間」にいるというサインです。一般的に「未病」と呼ばれる状態で、刻一刻と病気に向かっているととらえるのが妥当です。病気の診断を受けて、何かがおかしかったことに初めて気づくのではなく、それに至る何年も前から体が示していた症状、つまり異常のサインを、無視したりもみ消したりせず真剣に受け止め、症状がなぜ起きているのかを追求し、原因の根本的な解決を行なっていただきたいのです。ほとんどの場合、原因は簡単に見つかりますし、修復もそれほど大変なことではありません。病気になる前に問題を見つけ出し、解消に早く取り組むことが鍵なのです。問題を先伸ばしにしてはいけません。


なるほど、その通りでしょうが、中々むずかしいでしょう。
クリニックの PR ポイントは、健康と病気の間にいる人たちのサポートという一般の医療機関では行なわれていないサービスを提供することです。その具体的内容は、教育、栄養・運動指導、カイロプラクティックを軸に体調不良を解消し、将来的に発生する可能性がある健康問題/病気を事前に予防することです。例えば、現代社会には慢性の頭痛、消化不良、疲労感などという問題を抱えている人は非常に多くおられますが、ほとんどの場合は、市販の鎮痛薬や胃腸薬、エナジードリンクなどを飲むことによって、その場しのぎで日々を過ごしておられます。そもそも根本に解決できるとは思われていないということかもしれません。これらの症状は非常にわずらわしく、QOL (Quality of Life) を下げるばかりでなく、症状を見過ごすことで、将来的により深刻な健康問題にも繋がります。しかし残念なことに、それらは既に科学的に証明されているにもかかわらず、医療者、一般人ともすぐにアクションを必要とする問題として認識していないのが現実です。数々の症状つまりサインを見逃さず、根本的な問題を解決することが真の予防につながります。
 
実際のコンサルテーションはどのように行なっているのですか?
一人あたりの1回の治療時間は基本45分とっており、そのうち少なくとも最初の15分は生活習慣指導を行ない、私どもが薦めること(例えば、砂糖を減らすこと、血糖値を安定することなど)が何故有効なのかを理解いただけるまで説明します。患者さん達には、このクリニックに通うことは塾に通うのと似たようなものであるとお話します。クリニックで学び、与えられた課題を実際に生活習慣の中で行なわなければ、問題は中々解決しません。このクリニックは、受け身で治療を受けるのではなく、能動的学びを行なうところであるということです。
さらに、私どものクリニックでは月に1度無料健康講座を開き、毎回違うトピックで1時間ほどかけて詳しく説明し、その後ディスカッションの時間をもっています。それ以外にも、地元図書館、教会、婦人会などでも講座を何度も行なってきました。2010年にNYでクリニックを始めてからの健康講座は130回以上になります。
健康と病気の間を見過ごすことの危険性を理解することが出来れば、生活習慣を改善することも自発的に行なえるようになります。クライアントに薦めることは基本的に私達も行ないます。本当に基本的なことで、骨格バランスの調整、ジャンクフードを食べない、食事は極力季節の素材から作る、血糖値を乱さない、栄養のバランスを個人の必要にあわせてとるというようなことです。例えば、妻は現在生後4ヶ月の娘に授乳していますので、特にタンパク質と脂質を二人分摂取することを心がけています。それ以外にも健全な神との関係、早寝早起き、適度な運動、遊びなどを尊重することです。
 
デトックスではどんなことをなされるのですか? 
現代人が主に患う病気は、生活習慣の変化によって起きているもので、1900年以前の主な死因であった感染症ではありません。感染症は衛生状態の改善によって劇的に減少しましたし、抗生物質やステロイドのような治療薬の開発も大きく問題解決に寄与したといえます。しかし、心臓病、がん、糖尿病などはこれまでのアプローチでは改善しないのです。生活習慣から引起される問題に特効薬は存在しないのです。唯一の解決策は、私達の体が最善に機能できる環境を取り戻すことなのです。そのためには当然食事を正さなければいけませんし、適度な運動や、十分な睡眠など、数々の生活習慣を見直さなくてはいけないのです。それらを行なうのが私達が薦めるデトックスの実質的な内容で、決して毒を出すことだけが目的ではないのです。デトックスは誰でも行なえますが、体の状態によってやり方を調整しないと、急激な変化に体が強く反応して、強い頭痛や吹き出物が出たりすることもあります。現代生活の中では、完全な毒無し生活を行なうことは不可能で、何らかの毒素にさらされています。しかし、体には腸、肝臓、腎臓といった解毒機能がそなわっていますから、それらの臓器の能力を強めることが出来れば、ある程度の毒素と共存することが可能なのです。デトックスを私どものクリニックで行なっていただく場合は、コンサルテーションをしっかりと行なって、カスタマイズした指導を行なっています。


クライアントへの対処で特に留意していることはなんでしょうか?
患者さんの話をよく聞くことですね、治療の最大のコツは、その人にとってストレスになっているものを取り除くことですので、それぞれの生活状態をすばやく把握し、問題の根っこになっているものを見つけ出すことに注意を払っています。それは精神的なものかもしれませんし、体の歪みなどの肉体的なものかもしれませんし、栄養不良から来るストレスであることもあります。先ほども述べましたが、患者主体の治療であり、私が治すのではなく、主な私の仕事は教育とコーチングであると考えています。

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